河村市長の戦争美化発言の撤回と謝罪を求める署名第1次分15,438筆を提出
河村市長が4月22日(月)の定例記者会見で「5/14なごや平和の日」の制定にかかわって「祖国のために命をささげるのは高度な道徳的行為」「このことを教育の現場でももっと考えないかん」など、戦争を美化し、祖国のために死ぬことを奨励する教育をと教育内容にまで干渉する、とんでもない発言を行ったことに対し、その発言の撤回と、市民への謝罪を求めるネット署名(左QRコード)が、「平和を望む市民 有志の会」によって開始され、2日間で1万人を超過。5月13日(月)に、革新市政の会と合同で、署名15,438筆の提出と、懇談を行いました(写真)。
私は会を代表してネット署名のプリントアウトを手渡すとともに、懇談で「名古屋空襲で亡くなった2歳の子どもの死も、祖国のために命を捨てた高度に道徳的な行為であったと言うのか?祖国のために死んだのではなく、祖国が戦争という過ちを犯したために犠牲になったのではないのか!」と訴えました。
この2歳の子どもというのは、私の妻の出身地である新城市作手に昭和55年に妻の父親が建立した先祖代々の墓石に刻まれている戒名の中に、「利平の妻千鶴江行年22才」「聡子行年2才 鍋屋上野町にて戦死す」と刻まれていたもので、名古屋に働きに出てきていた利平(義父の叔父)の妻と2才の娘が、3月25日に東区矢田の三菱発動機から千種区の鍋屋上野方面まで広範囲に行われた空襲で、防空壕の中でおそらく爆弾の直撃を受け犠牲となったのではないかというもの。
名古屋市も政府も、こうした民間人一人一人の空襲犠牲者について、把握していません。毎年行われる「あいち平和のための戦争展」で、民間人戦争犠牲者の情報収集をされている小出裕さんに、昨年妻の提案でこの情報を提供したところでした。
「なごや平和の日」制定を契機に、名古屋市には「二度と戦争という過ちを犯さないために」、この22才の母親と2才の娘の死のような事例一つ一つに光を当て、その尊い命を奪った戦争という誤りを止められなかった反省に立ち、政府がそのような誤った道に進まぬよう全力で努力する平和行政を行なっていただきたいと思います。
ネット署名→は引き続き集めてゆきます。ご協力をよろしくお願いします。
また革新市政の会が同趣旨の紙の署名(↙)に取り組んでいますので、ご希望の方は革新市政の会(Tel:052-916-2148)にお問い合わせ下さい。
平和がいいな昭和区の会が総会で市政出前トーク「名古屋市の平和の啓発・継承に関する取り組み」を聞く会
平和がいいな昭和区の会は、6月12日(水)18:45〜池内わらべ保育園2Fホールにて総会を開きます。そこに「市政出前トーク」を呼び、市の職員から直接、市の平和行政について説明を受けるとのこと。「なごや平和の日」制定の経緯や、今後の計画など詳しい話が聞けそうです。ぜひご参加ください。市長の発言は許せませんが、平和行政を推進する志をもった現場の職員の皆さんとは、ともに頑張る立場で話ができるといいですね。会員以外は参加費500円が必要ですが、入会すれば年会費500円だけで参加できます。
昭和区平和行進にご参加ください
6/9(日)は昭和区平和行進です。10:15川名公園〜11:15天神町公園(御器所)〜12:15鶴舞公園流れ解散です。
私ごとですが、瀬戸市に暮らしていた私の父方の祖父(43年前に他界)が、広島に入市被爆していたことを昨年知りました。祖父は呉軍港から「史上最大の海戦」とも称されるレイテ沖海戦に出撃。自艦は撃沈され、味方の船に救助されて命からがら呉に帰還。その後原爆が落とされた広島市に、軍の任務で入市したということでした。私の父は祖父の出征前に生まれているので、私自身は被爆3世ではありませんが、祖父が瀬戸に戻った後に生まれた叔母は被爆2世になります。昨年末の叔父の葬儀の食事会でポロリとそんな話を聞かせてくれました。叔母は、いつ放射線障害が出るのかという不安や、明らかにしたらどうなるかという不安など、きっと複雑な思いを抱えながら生きてきたのだと思います。
核兵器は、桁違いに広範囲にわたって無差別に市民を殺傷するだけでなく、生存者に対しても、その子々孫々まで、放射線障害の恐怖・不安を与え続ける、極めて非人道的な兵器です。1日も早く世界中から核兵器をなくすことは、人類全体の悲願です。あなたも一歩でも二歩でも歩きませんか。